キングコング西野亮廣さんの敏腕マネージャーとして有名な田村有樹子さん。
その働きっぷりが話題になることも多く、西野さんからも多大な信頼を得られているようで…
大学は同志社大学出身で、六本木のバーのママや、番組プロデューサーの経験もあるのだとか。
人生経験がかなり豊富そうではありますが、一体どんな経験をお持ちなのでしょうか。
今回は『田村有樹子の学歴&経歴まとめ|六本木バーの雇われママやオンラインサロンの運営も?』についてまとめましたので、ご紹介していきたいと思います!
田村有樹子のプロフィール
まずは、プロフィールから見ていきましょう!
田村有樹子のプロフィール
名前:田村有樹子(たむら ゆきこ)
年齢:40歳(2021年1月時点)
生年月日:1980年7月24日
出身地:京都府
田村有樹子さんはとてもハッキリ物事をいう女性。
とっても元気で活き活きとされているエネルギッシュなイメージもあります!
はんなりした雰囲気の京都府出身なのは意外ですが、根っからの関西人ということでしょうか。
現在は西野亮廣さんのマネージャーをしており、”マネージャー”というよりは”一緒に仕事をしている”という仲のようです。
YouTube講演家の鴨頭嘉人さんは、「普段が太陽側のキャラなのに、西野さんといるときは月の役割と果たしている」と言っていました。
もともとの田村有樹子さんのエネルギーがすごくあって、でも人を輝かせる才能も持っているということ。
西野亮廣さんとはきっと相性抜群なのでしょうね!
田村有樹子は結婚してる?
現在、田村有樹子さんは結婚されていません。
▽2018年9月のインタビュー記事では、結婚についてこのようにコメント。
「仕事なんてあっさりと辞めるかも(笑)。プロポーズとかされたら、「は?仕事?仕事が生き甲斐とか 惨めよね」とか言っちゃうかもしれない(笑)」
引用:その名、田村有樹子(2018年9月7日の記事復刻)
結婚願望がないわけではないようで、今はただただ仕事が忙しいのかもしれません。
田村有樹子の学歴は?
まず、学歴をまとめるとこんな感じ。
1993年:小学校(京都) 卒業
1996年:中学校(奈良) 卒業
1999年:高校(奈良) 卒業
2000年:1年間大学受験のため浪人
2004年:同志社大学(京都) 卒業
京都出身の田村有樹子さんですが、中学と高校は奈良に通っていました。
順調に進学を進めるも、大学受験で1年浪人。
一体何があったのでしょうか。
過酷な小学校時代
田村有樹子さんは京都府内にある小学校に通っていました。
学校名は公表されていません。
持ち前の明るい性格を活かしてすぐに人気者に。
ですが、小学校5年生の頃からいじめが始まりました。
いじめの理由は「リーダーの女の子の模擬試験の成績を抜かしてしまったこと」。
クラスのみんなは当時、自分がいじめられることが怖くて誰も助けてくれなかったそうです。
そして、田村有樹子さんの親がこのいじめを知り、父親がすぐ学校に連絡を入れ、翌日からは登校しないでいいと言われたのだとか。
ですが、この時ただ引きこもるだけではなく、毎日塾に通って勉強をしていました。それも朝から晩まで。
その勉強のおかげで、学校へは通わずとも奈良の私立中学に合格することができました。
京都ではなく奈良を選んだのは、知り合いに会わないためにという理由かもしれませんね。
自分を偽っていた中学時代
無事、奈良市内の中学へ入学した田村有樹子さん。学校名は公表されていません。
小学校時代に受けたいじめのトラウマが離れず、自分を偽ってコミュニケーションを取っていたと言っています。
そのおかげでいじめは受けることはないものの、ありのままの素を出していないため”全然楽しくなかった”とのこと。
そのまま中学校生活は終わってしまいました。
そんな中、今の田村有樹子さんの原点にも繋がる転機が訪れたのは高校時代です。
テニスにのめり込んだ高校時代
高校も奈良県の高校に通っていましたが、学校名は公表されていません。
高校ではテニス部に入部。
当時は未経験でテニスが全くわからない状態。
それが悔しくて、田村有樹子さんは”外部のテニススクール”に週4ペースで19時〜23時まで通い、猛特訓しました。
そこからもっと上手くなるために、ジュニア選手用のコーチをおいてほしいと直談判。
スクール生を4人集めるという条件を提示された田村有樹子さんは見事に4人を集めました。
学校のテニス部にみんなには外部スクールに通っていることは内緒だったので、集めた4人は全員他校の生徒。
とてもつもないコミュニケーション能力ですね!
テニスの実力はめまぐるしく上達して、シングルスでは奈良県3位に。
気づくと、自校だけではなく他校の生徒からも声をかけられるようになったのだそう。
”頑張れば人は集まってきてくれる”ということを強く学んだ田村有樹子さん。
「人に必要とされたい」という想いが強くなったのもこの経験が起点。
この時の経験が、今の自分を作っているといいます。
1浪して合格した同志社大学
大学は『同志社大学』へ進学。
- 大学名:同志社大学
- 所在地:京都市上京区今出川通烏丸東入
- 偏差値:55.0 〜65.0
1度目の受験は不合格になってしまいましたが、「同志社大学以外はあり得ない」と思っていた田村有樹子さん。
親に頼み込んで、1年だけ浪人を許してもらい、2回目の受験で見事合格しました。
浪人生の間は、毎日15時間以上の勉強と予備校に近い祖父母宅に住まわせてもらうなど、すごく努力をされました。
「携帯は折って友達とは連絡が取れないようにする」などの徹底ぶりも。
大学時代もテニスにのめり込み、勉強はかなりおろそかになっていたようです。
そして大学生活を過ごしていく上で、「このビジュアルでは結婚できない」と思ったそうで、「とにかく仕事のできる人間になろう」と決意。
そして、大学卒業後はADの道へ。
田村有樹子の経歴は?
しんどい仕事をあえて選びADへ
”仕事のできる女性になる”という目標を掲げていた田村有樹子さん。
就活をして、内定は数社からもらっていたと。
その中で就職を決めたのは”テレビ業界”のADの仕事でした。
もともと特にテレビ業界に対して大きな憧れがあったわけではないようですが、こんな理由からADの道を選択。
- 一番しんどい仕事を考えた時にADだった
- 負けず嫌いなので営業などの仕事は結果を出せるかもしれないけど寂しい人生になると思った
- チームとしてできる仕事がテレビ業界だった
この時、”女の幸せ”は諦めて、仕事のできる女性へのステップとしてADという仕事を選んだようですね。
当時担当していた番組は『所さん&おすぎの偉大なるトホホ人物伝』というゴールデンタイムの番組。
この時の労働時間は、週に150時間ほど。
普通の会社であればとんでもないブラック企業です。
すでに労働基準法が浸透していたため、働きすぎだとも思われる田村有樹子さんの働き方は、周囲から孤立してしまいました。
ですが、それとは逆に「もっと働きたい」と田村有樹子さんは労働基準法に不満を持つようになりました。
そして、会社を辞めてプロデューサーとしての活動が始まります。
映像制作会社を立ち上げ、番組プロデューサーとして活動
田村有樹子さんは24歳の時、仲間と映像制作会社を立ち上げました。
そこから”田村プロデューサー”と呼ばれるようになったみたいです。
西野亮廣さんと出会ったのもこの時。
仕事はかなり順調に進んでいたものの、社員の給料や体調を気にしすぎてしまうということに疲れてしまい、「人のことばかり考える人生は嫌や」と思い、35歳で退職。
仕事を辞めたいと思い始めたのは30代前半だったため、数年間も慣れ親しんだテレビ業界を去ることに思い悩んだそうです。
六本木バーの雇われママ
テレビ業界を去った後は、六本木にあるバーの雇われママに転身。
若い頃から「スナックのママに向いてる」と言われ続けていた田村有樹子さん。
お酒が嫌いにも関わらず、勧められたからやってみたという感じだったそうです。
そして、ママとしての仕事は成功。
田村さん自身が中途半端が嫌いであることや、数字にこだわってしっかり店を経営していたということもあり、
- 視野の広さ
- 対応力
- バランス感覚
これらのことがママとしての仕事にもすごく活きたと言っています。
その時の田村有樹子さんの魅力が伝わるエピソードを1つご紹介します!
フェイスブックで自己破産を考えている女性の投稿を見かけ、メッセージを送信。
内容は「話だけで楽になれるんだったら、いつでも来て下さい」というもの。
実際に女性が店に来て、「自己破産する前にiPhoneの本体代7万円を支払わなければ、携帯を取り上げられてしまう」という話を打ち明けられました。
1回しか会ったことのない人だけど、自分が何かに7万円使うより、この人にあげた方が意味があると思い、そのまま7万円を渡したそうです。
田村有樹子さんがどれほど素敵な方なのかがすごく伝わります。
六本木のバーのママとしての仕事は約2年間やり続け、
「ママやってなかったらできひんかったやろなってことも多分出て来ると思ってるから この二年間 無駄はしてないなーと思ってます」
その名、田村有樹子(2018年9月7日の記事復刻)
このように、何事もポジティブに発言をされる田村有樹子さん、とっても素敵ですね!
オンラインサロンの運営者
田村有樹子さんは現在、オンラインサロン『田村Pのココだけの話』(通称:タムココ)を運営しています。
オンラインサロンは、月額会費制のWeb上で展開されるコミュニティ(クローズド)の総称である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/オンラインサロン
それも始めたきっかけは、西野亮廣さんの一言。
グループLINEの中で「田村さんにオンラインサロンやらせましょう!」。
この一言で強制的にオンラインサロンを立ち上げないといけないことになってしまい、サロンへの入会ページもそこから3日後に作られてしまったのだとか。
「何の取り柄もない」と口癖のように言っていた田村有樹子さんは最初拒否したそうなのですが、自分に自信をつけてほしいという想いから西野亮廣さんは強制的に運営させたそうです(笑)
今ではその”タムココ”もオンラインサロンの人気ランキング9位!
筆者は入会していませんが、めちゃくちゃ面白いのだとか…
タイトル通り”ここだけの話”やイベントにも参加できたりするみたいなので興味ある方はぜひ♫
リベンジ成人式の仕掛け人だった
一時期話題になった西野亮廣さんの『リベンジ成人式』。
2018年の成人式当日に『はれのひ』という着物の着付けやレンタルを手がける会社に全く連絡が取れなくなり、そこで着物のレンタルを契約していた子たちの思いを踏みにじるというような事件がありました。
そこで、西野亮廣さんは、リベンジ成人式を開催。
▽その内容はコチラ!
- 開催日時:2018年2月4日
- 会場:横浜
- 着物:『京都きものレンタルwargo』が無料で提供
- 着付け:無料
- ヘアメイク:無料
- 内容:クルージングディナー
- 対象:成人式に参加できなかった方や、中途半端にしか参加できなかった方々
西野亮廣さんがブログで告知&宣伝をしましたが、実は最初に起案したのは田村有樹子さん!
あとから西野さんもブログでこのことについて触れていますので、一部抜粋します。
その『はれのひ事件』があった成人式の夜に、うちのスタッフの田村Pから、「かくかくしかじか、こういうことが今起こっています。何とかしましょう。」というLINEが届きました。
僕はニュースを見ていなかったから、そういうことがあったのは彼女からのLINEで知りました。
ニュースでは、「キンコン西野が『リベンジ成人式』を!」という取り上げられ方をしているのですが、実は『リベンジ成人式』の首謀者は、僕ではなくてうちのスタッフです。
田村有樹子さんが西野さんに話を持ちかけ、形になったようです。
当時は、「西野亮廣って、良い人」という声が多く寄せられましたが、最初の起案は田村有樹子さんだったんですね!
こんなことをすぐに思いつくなんて、さすがです…!
田村有樹子の現在の活動は?
現在は、主に西野亮廣さんのマネージャーのお仕事と、タムココサロンの運営が中心となっているようです。
そのほかに、講演をされることも。
あの西野亮廣さんのマネージャーとなると、ものすごく忙しい仕事なのかもしれません。
ですが、「もっと働きたい」という理由で仕事を辞めた経験がある田村有樹子さんは、天職なのかもしれませんね(*゚▽゚)ノ
ADやプロデューサーやバーのママ、そして現在はマネージャーなど、幅広く経験を重ねておられる田村有樹子さん。
これからも応援していきたいと思います!
以上、『田村有樹子の学歴&経歴まとめ|六本木バーの雇われママやオンラインサロンの運営も?』でした。
お読みいただきありがとうございました!